2009年11月24日火曜日

徳島県の保育士研修に行った。

先週の木、金と、徳島県の保育士さんに対して「障害児保育」の研修会をやってきた。

このブログの「論文を書こう」シリーズも、数年前の保育士研修会でとらせていただいたデータをもとに書いている。
だから、私にとってはとても大切なイベントの1つである。
今回は、2日連続延べ10時間という非常にハードな日程だったが、最後まで熱心に研修される保育士の方々のパワーに勇気づけられつつやり終えたのだった。

この研修は、昨今保育所で増加していると言われる「気になる子ども」を取り上げ、「その子の気になる問題とは何か?」「問題の原因は?」「原因に対応した解決策は?」というストーリーに従って構成している。
徳島ABA研のサマスクと同様、全体の50%以上が演習という、まさに頭と体を使う研修だ。

今回、「抽象具体分析」を研修の重要なユニットとして組み込んでみた。
抽象具体分析という用語は、特に学問的に定義されている概念ではないと思うが、ここでは「抽象的な指導目標を具体的な行動目標として書き下ろす」という意味で使っている。
例えば「人に優しく接する」といった抽象表現を、「自由遊びの時○○ちゃんに、「遊ぼう」と声をかける。」「ケガした子を見たら「大丈夫?」という。」「散歩の時、小さい子と手をつなぐ。」などのような、目に見える行動として書き下ろす作業だ。
「ビデオで撮れるぐらい具体的」なのがミソ。

研修では、まず保育士1人1人に「受け持ちの子どもで困っている問題」をたくさん紙に書き出してもらい、その中で最も解決したい1つの問題を選んでもらった。
次に、選んだ問題を抽象具体分析した。
例えば、解決したい問題「思いが通じない時、友だちや保育士に乱暴な行動をする」。
「思い」なんて、決してビデオには映らない。
「通じる」も、ビデオに映らない。
「乱暴」はビデオに映るけど、「叩く」も「ける」も「暴言を吐く」も全部乱暴で、あまりに撮影シーンが多すぎて抽象的。

演習で抽象具体分析してもらうと、
「思いが通じない時」=「友だちが自分の好きなおもちゃを持っている時」
「乱暴な行動をする」=「友だちからおもちゃを取り上げる。その時に、友だちを叩いたりする。それにより友だちが泣き、さらにそれをたしなめる保育士に対して叩いたり、けったりする。」
という意味だったりする。

問題を抽象的な記述のままにしておくと、
「なぜ”思いが通じない”のだろう?」「なぜ”乱暴する”のだろう」
といった抽象的な問を立てがちで、その後の原因推定や解決策立案も「あるべき論」の域を出にくい。

ところが、問題をビデオに撮影できるぐらい具体的に記述すると、
「週に何回ぐらい”おもちゃを取り上げる”トラブルが起こるのだろう?」「よくトラブルになる友だちって誰だろう?」「どんなおもちゃの時にトラブルが多いんだろう?」「おもちゃを手に入れることと、友だちを泣かすことのどちらが目的なんだろう?」「特定の保育士が叩かれるのだろうか?」「トラブルの起こりやすい日や時間帯があるのだろうか?」
みたいな具体的な問が山ほど生まれ、思わぬ原因推定や解決策の発見につながったりする。

だいたい子どもなんて世界を「ことば」ではとらえていないわけで、「思いが通じない」なんてことではなく、
「ううう、きかんしゃとーます、いる‥‥ぼこっ!」「ぎえっ!!」
ぐらいの世界の生き物なのだ。
たぶん抽象具体分析は、大人目線を子どもの世界に近づける作業なのだと思う。

今回の研修会では、教材開発に時間をかけられなかったので、新しく導入した抽象具体分析のユニットは”冷や汗をかきかき”やっつけたのだった。
それでも「思いは通じた(笑)」ようで、休憩時間に
「‥‥ってのは、やっぱり抽象的‥‥。」
とか、
「‥‥を具体的にすると‥‥」
みたいな、保育士研修会では聞き慣れない会話が耳に飛び込んでくるのだった。

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by tensuinoko