2012年3月30日金曜日

帰って参りました。

昨日の夕方、徳島に帰りました。

神奈川に出向して以来、平均すると月1~2ヶ月に1回程度帰省していた。
しかし、さすがに昨日見たK浜やK急の車窓からの景色はいつもと違っていた。
「あー、この景色も見納めか」などと思う。

この2週間というもの、引っ越し荷物の整理に追われていた。
大変だったのが「ゴミ出し」。
普段は出し忘れても、次の機会がやってくる。
しかし、今回は「最後のチャンス」の連続。
引っ越しの荷造りは、ほとんど「やがてゴミ出しの機会を逸する不安」の嫌子出現阻止の随伴性で制御されている。

だが、いくら考えて荷造りしても、引っ越し期日が近づくにつれ「あ゙ー、出し忘れた不燃物発見…」ということが続発。
不燃物や金属ゴミみたいに収集回数の少ないゴミは、どだい収集日に合わせて荷造りすることが無理なのだ。
こうした「ミス」は、少しずつ心をむしばむ。
引っ越し日が近づくにつれ、家具を見たり、引っ越しの段取りを考える行為そのものが嫌子化。
疲労が蓄積。
疲労による確率操作により、さらに嫌子化。
悪循環。

家内が引っ越しの手伝いに来てくれた最後の数日は、5分働いて2時間ぐらい休憩する始末。
家内にあきれ果てられながら、引っ越しプロジェクトは終了したのでした。

ちょっと休憩して、4月から新たな仕事に挑戦します。
これまで支えてくださった皆さん。
本当にありがとうございました。
これからも見捨てず、おつきあいいただけましたらうれしいです。

2012年3月21日水曜日

引越準備中

仕事は年々忙しくなるし、
一人暮らしも板についてくるし、
はじめは物珍しかった関東近辺の景色も色あせてくるし。
で、ブログを休眠してはや半年。

有り難いことに、
「ブログは再開しないのですか?」と聞いて下さる人がいる。
それも、何人も。
こんなくだらない一人暮らしの徒然や、論文執筆の行動契約など、愚にもつかない内容を読んで下さる人がいるとは。
本当に有り難い限りである。

話は変わるけど、研Q所でのお勤め期間を終えて、4月から徳島に帰ることになった。
N教大附属特別支援学校。
"元のサヤに収まる"っちゅう感じですな。

年末から今まで、研究成果報告書なるものの執筆、編集が忙しくて、てんやわんやだった。
2月10日の提出期限にびた一文遅れることなく提出し、
「あー、これで終わった」
と思ったのもつかの間。
修正の嵐。
結局、まだ終わってないけど、仕事の終わりが近づいて、こちらの手元から離さざるを得ない状況になりつつある。

今は、職場でも宿舎でも引越準備に大忙し。
とにかく大変なのが、本、資料のたぐい。
本は、重いので大変。
資料は、仕分けが大変。

仕分けは、
普通のゴミ、溶解処分、徳島へ、
の3区分。
溶解処分は、
「個人情報や国家機密(そんなたいしたものではない)は溶かしてしまえ!」
という、処分ですな。

学校関係の資料の中に、K養護学校の資料があった。
学校関係の資料は基本的に普通のゴミか溶解処分なのだが、この資料は「徳島行き」である。
資料自体はそんなに珍しいものではないし、多分資料的な価値は"無い"に等しい。
けど、捨てられない。
ゴミの方に区分することを体が拒否するのだ。

K養護学校は、2年前、何のつてもないところに飛び込みで研究協力依頼をして、今年すばらしい研究報告をしてくれた学校である。
最初に電話したときのこと、初めて学校訪問したときのこと。
忘れられない。

何のつてもなく研究協力を依頼するなんて無謀。
ほとんど、たちの悪い訪問販売に等しい。
しかし、四国(一部関西エリア)以外に顔が利かない自分の場合は仕方がない。
必死で学校の情報を調べて、説明と協力の依頼をした。
はじめは「どんな大変なことをさせられるのだろう」と疑っていたに違いないK養護学校の先生たちも、仕舞いにはとても良い成果を上げて下さった。
本当にいい人たちだった。

だから、何の変哲もない「学校資料」が価値変容してしまった。
眺めたり、しみじみしたり、「ほー」とため息をついたり、「捨てる」行動を弱化したりといった様々な反応の弁別刺激として機能するようになった、とでもいえばいいのか。

引越の準備は、まだしばらく続く。

by tensuinoko