2011年2月13日日曜日

知的障害教育が難しいわけ

休日にきちんと休みが取れると、

「ブログを書こうかな」
っちゅう気持ちになる。
つまり言い訳だが、ブログが滞るのは「休みがない」というこっちゃ。

ワシの場合、ブログのネタは入浴中、特に風呂場で体を洗っている最中に思いつくことが多い。
枕上・鞍上・厠上なんて言うけど、さしずめ「浴室用椅子上」か?
風呂で何を考えたかというと。
「知的障害教育は、そもそも通常教育と何が違うのか?」について。

アメリカの特別支援カリキュラムには、
「アコモデーション」と「モディフィケーション」という概念がある。
アコモデーションとは、教える内容は変えないけれど、特別なニーズに応じて例えば拡大教科書を使ったり、教科書を読み上げたりするような個別の配慮をすること。つまり、教育内容は通常のままだ。
しかし、モディフィケーションになると、特別なニーズに応じて教える内容まで変更してしまう。
3年生だけど、3年の内容は難しいので2年生や1年生の内容を教えたりするのは、これに当たる。

で、知的障害とは、なんじゃ?
一般に、知能検査で測ったりする知的能力が低い値を示すことと、適応行動の問題を示すことの2つで説明される。
知的能力の障害があるっちゅうことは、
年齢相応の国語や算数といった教科の内容の学習が難しいっちゅうこっちゃ。
適応行動の問題があるっちゅうことは、
ふつう「家庭のしつけ」や「地域や学校での経験」によって自然に身に付くことが、自然に身に付かんっちゅうこっちゃ。ふつう自然に身に付くこととは着替えたり、食事したり、しゃべったり、言いつけを守ったり、行方不明にならずにバスに乗ったり、買い物したり、挨拶したり、仕事したり、趣味に興じたり、フィッシング詐欺に引っかからない方法を覚えたり…………………といったことだ。

地球に住む以上、一日は24時間である。当たり前だ。
子どもが学校に行く日は「年間35週以上」っちゅうことになっとるけど、そんなべらぼうに「うちの学校は年間120週授業やっとります」なんちゅうことがあるわけがない。
1年は52週じゃ。
1週間で学校に行く日は5日。土日は休み。
知的障害があろうがなかろうが、勉強する時間は決まっている。

つまり知的障害の人には、一人一人の障害の状態に応じて、
教科の内容を変えることと、
適応的な行動で教えるべき内容を決めること、
を、しなければいけない。
そして与えられた時間は、知的障害のない人と同じなのだ。
20年たつと、大人になる。

当たり前だが、知的障害の状態は一人一人異なる。
難しいことに、同じ年齢でも発達の異なる人がいるし、一人の人の中でも言葉はしゃべれるけど計算はからっきしみたいな個人内差がある。
小学校1年生と高校3年生が同じ知能レベルである、ということが理論上起こりうる(たぶん見た目はかなり違うと思うけど)。
小1と高1に、同じ国語や算数を教えるか?
適応行動の獲得の度合いも、様々。

知的障害の人の教育を考えると、頭の中が「うにゃーっ」ってなる。
一人の人に「何を」「どうやって」教えるか?を考えるだけでも大変なのに、
クラスには受け持ちの子が何人もいるし、
学校には何百人も生徒がいるし、
日本には理論値として、1億2千万人×0.02275=273万人の知的障害の人がいるし。

これが、知的障害特別支援学校の学習指導要領がすぱっと書けない理由かもしれない。
ほんでも、学校の先生はみんながんばっとんやけどなあ。

by tensuinoko