2011年1月14日金曜日

「妥当性」メモ

風呂にはいると、ちょっとしたことを思いつくのでメモっとく。

例えば植物の1ミリ単位の成長をはかるのは、
1ミリの刻みがある物差しでなくてはだめ。
1センチ刻みの物差しでは測れない。
ましてや1メートル刻みでは、話にならん。
当たり前だ。

しかし、例えば樹高100メートルに達するセコイアの10年間の成長をはかるのに、1ミリ刻みの30センチ物差しで測ろうとする人はいない。
1メートル刻みのロープみたいな物が適切だろうし、
それすら馬鹿げていて、実は三角測量だったりする。

今の知的障害教育は、子供の成長をはかる共通の物差しがないのが弱点。
(通常教育にもないけど…)
明日の授業を考えるのに、学習指導要領読む人はいないだろう。
けど、指導計画や授業の短期目標に100メートル刻みぐらいのことを書いている人はよくいるし、自分もかつてはそうだった気がする。
単に「石けんをつけて、手を洗う」だけの授業に「清潔に過ごす態度を身につける」みたいなセコイア目標たてたりして。

たぶん現状はメートル法や尺貫法やヤードポンド法や天文単位が入り交じっている上に、
長さを測るのに分度器や体重計やストップウォッチや体温計やジャイロスコープなどを使っている人がいて、
「この子は32センチのびました。」
「だめだめ、三尺八寸しかのびてないわよ!」
「いやいや、38秒速くなりました。」
「え、38度の熱?それは大変」
みたいな、宇宙的な会話をしているのだ。

はじめは30センチ物差しでいいから、一つ作ればいいのに。
けんかばっかりして。

あー、これ、研修講義のマクラで使お!

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by tensuinoko