一人暮らしを始めて増えた行動の1つが、「臭いをかぐ」だ。
冷蔵庫の中の野菜、肉、残り物の食材。
燃えるゴミ、容器包装プラスチック、シンクの生ゴミ。
下着、ワイシャツ、背広、ズボン。
何でもかんでも、臭いをかいでいる自分に気付く。
徳島で家族と一緒に暮らしている時には、これほどではなかったはず。
臭いを感じるのは、大脳でも旧皮質に属する大脳辺縁系だそうで、ここは感情を司る部位らしい。
だから、臭いの感覚はダイレクトに情動的な反応を引き起こす。
「くせえ!」とか「うーん、いい香り」とか。
そういえば昔、岡八郎のギャグでも「くさ、くさー!!」というのがあったっけ。
最近では、宇都宮まきの屁こきギャグとか。
あー、吉本新喜劇、なつかしー。
いかん、いかん、話が横道にそれてしまった。
とにかく「臭う」という行動は、どちらかといえば社会的でない、恥ずべき行動のように考えられている。
それは臭いが情動的な感情に直結し、ひいては生命維持に直結するため、なんとなく「あさましい」動物的な感じがするからだろう。
家族が側にいれば、「臭いをかいでいる自分を見られる」ことは嫌子的に働く。
単身赴任になれば、この随伴性はOFFになる。
K浜宿舎では、臭い放題だ。
自発的回復である。
さらに一人暮らしにおいては、嫌子出現阻止の随伴性が「臭う」行動を強化する。
A:しばらく経った野菜、肉=む、やばい!
B:臭う
C:まだ大丈夫(↑)=やがて「食中毒になる」不安無し(↑)
A:ちょっと着古した衣類=むむ、やばい!
B:臭う
C:まだ大丈夫(↑)=やがて「人から変な目で見られる」不安無し(↑)
計数カウンターで臭う回数をカウントして、K浜宿舎・研究所・自宅などいろんな条件で比較してみたら面白いかもね。
2009年5月30日土曜日
臭いをかぐ
2009年5月29日金曜日
さざれ石は本当にあった。
国歌については、義務的に歌わされるのは嫌だなあと思っているが、他には特に意見を持っていない。
で「さざれ石」。
この間、仕事でMK省にいった時、中庭に実物のさざれ石が展示されていた。これがそう。
写真が悪くて、見えにくいのが申し訳ないが、なんか粗悪なコンクリの固まりみたいなもんです。
そんなに、ありがたがるほどのものではない。
ネットで「さざれ石」を調べてみると
>さざれ石(細石、さざれいし)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもの。「石灰質角れき岩」とよばれる。石灰岩が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできる。(Wikipediaより)
だそうで、そんなに珍しいものでもないようだ。
もうちょっときれいな画像がこれ。
三重県二見浦、夫婦岩前にあるさざれ石だそう(Wikipediaより)。
結構、日本中いろんなところにあるようだ。
両方のさざれ石とも、「巌と」なっているようだが、「苔」のむすまでは至っていないようなので、日本国はもうちょっとばかし安泰なのかもしれない。
2009年5月26日火曜日
懐かしさの条件
私は、他の人より明らかに「懐かしさ」を感じる回数が少ない、と思っている。
写真をアルバムに貼って眺めたり、古い資料をとっておいたり、といった行動はほとんどない。
1年間さわらなかった物は「いらんもん」と決めて、どしどし捨てる方である。
そんな私が、たびたび徳島に帰省する。
今回は、仕事関係の出張のついでに帰省した。
バスで徳島に帰ってきても、特に「懐かしい」とも思わない。
当たり前だ。
まだ、離れてから2ヶ月弱しか経ってない。
出張では、20年近く前に勤めていた学校を訪問した。
さすがに、こっちはかなり「懐かし」かった。
教員として、初めて子どもを教えた教室。
いろいろな道具を集めて作った○○コーナー。
あっちを見ても、こっちを見ても、いろんなことを思い出す。
そうか。
「懐かしい」は、弁別刺激によって再生される記憶が、かなりの年月を経た物であるときに思うのかもしれない。
今のところ、帰省で徳島に到着した時には「懐かしい」とも何とも思わない。
しかし、徳島を再び離れるときには「ああ、離れるのヤだな。」と思う。
ところがつくづく不思議なモンで、今回K浜に帰ってくると、「あー、帰ってきた。懐かしい」と思ったりしているのだ。
「懐かしい」は、年月を経た記憶が再生された時に思うだけではなくて、なんか「ホッ」とした感じを覚えた時にも思うのかもね。
2009年5月18日月曜日
電波時計
基本的に、時計はぴったり合っているべきだと思っている。
他のことでは決して理想主義者ではないのだけれど、時計に関しては狂っているのがハッキリいって嫌いだ。
徳島の実家でも、目覚まし時計は電波時計だった。
妻の目覚まし時計も電波時計で、2つの秒針が全く同じ時刻を刻んでいるのを見て、悦に入っていたものだった。
だからK浜の宿舎でも、当然、目覚まし時計は電波時計を購入した。
そして、腕時計も電波時計。
両方ともカインズホームで買ったのだ。
ただ、目覚まし時計の値段が、えらい安いのが気にはなったけど…。
皆さん、知ってますか?
電波時計って時々、電波を受信し損ねてぐるぐる回るのを。
多くの場合、夜中に。
深夜、フト目を覚ますと、枕元で「ぐりぐり」時計の針が回っている。
そういう時は、時刻も何もあったもんではない。
ただただ、電波を拾いたい一心で、ぐりぐり回っている。
あさましい姿だ。
で、問題はK浜宿舎の目覚まし時計だ。
こいつは、安かった。
1000円ぐらいだった。
電波時計にしては安すぎる、怪しい。
けど、安い。
ということで、購入してしまった。
こいつが、年中狂っている。電波時計のくせに。
一方、腕時計は優秀で、ぐりぐり回りもせず、いつも時報とぴったりに秒針を刻んでいる。
ういやつめ。
私としては、当然、腕時計をひいきしてしまう。
これを書いている今も、目覚まし時計と腕時計は、2分ほどずれている。
こんなことが起きないために、電波時計を買ったのに…。
安もんの目覚まし時計が、悪いにちがいない。
あほ時計め。
けど聞くところによると、こんなにぴったりの時刻を求めているのは日本だけのようだ。
インドなんて、バスを1時間待つなんてのが普通らしいし。
世界中、ほとんど似たり寄ったりなんだろう。
インド人曰く「インドでは、待つことは、楽しみです。」
そういえば京急って、恒常的に2~3分遅れている。
ひょっとしたら、カインズホームで買った目覚まし時計をもとに運行しているのかもしれないなあ。
2009年5月17日日曜日
シリーズ「戦う」その3:お風呂と戦う!
「わん型トラップ」って、知ってますか?
これです(右図)。
その右の写真は、「わん型トラップわん」。
イヌじゃないのだ。
排水溝の中に「排水トラップ」という構造がある。
排水溝を伝ってくる下水の臭いや、動物の進入を防ぐための装置だ。
「わん型トラップ」は、その一種。
他にもS字型になったトラップは、よく見かける。
なんで、こんなに詳しくなったかというと、わん型トラップと戦ったからである。
K浜宿舎は、古い。ボロい。
中でも浴室の設備は、つっこみどころ満載だ。
入居当初から、最も苦しんだのが浴室の排水。
流れない。
時間あたりの排水キャパシティが、少なすぎるのだ。
手桶で2杯体に湯を浴びると、排水キャパを超えて、排水溝に水がたまりはじめる。
シャワーなら、約20秒。
(ちょっと分かりにくいけど右図)
はあ?
これは、前世の因縁か?テロか?
戦いが始まった。
まず、排水溝のフタを開けて、例の「わん型トラップわん」を取り出し、トラップ構造の掃除。
不思議なことに、さほどゴミはたまっていない。
掃除の結果、やや排水キャパが改善…。
ところが、改善効果は2日程度しか持続しない!
3日目には、元の木阿弥。
3日に1回、トラップ掃除をするほど、こちとらヒマじゃないのだ。
世の中には、「排水溝の汚れを溶かす」薬剤があるそうだ、ということを聞きつける。
カインズホームにいって「強力!溶かす薬」を購入する。
注入。
入浴。
水、たまる…
う゛…。
薬剤の量が少なかったのかと思い、思い切って薬をぜーんぶ投入。
汚れよ、溶けよ!
入浴。
水、たまる…
う゛ぅ゛…
インターネットを検索しまくる。
その過程で「排水トラップ」「わん型トラップ」「わん型トラップわん」など、やたら排水トラップ関係の構造に詳しくなる。
名称、構造などには詳しくなったが、解決策は得られず。
なぜ、キャパが少ないのか?
宿舎の排水トラップは、鉄製でかなりさびが出ている。
赤さびというやつだ。
赤さびがふくれあがって、排水トラップの隙間が狭くなっているのが、キャパ制限の原因ではないのか?
この推論のもと、さっそく戦場に戻る。
わん型トラップわんを取り出し、ドライバーで鉄さびをガンガン小突き回す。
ぼろっ、と鉄さびが落ちて、もとの黒い地肌が顔を出す。
これだ!
さらに、ガンガンどつき回す。
ぼろっ、ぼろっ。
頑固な鉄さびをあらかた落とし、わんを排水溝にセット。
入浴。
おお、流れる!
なんぼシャワーかけても、手桶かぶっても、無敵で流れる。
すばらしい!
感動。
1ヶ月経った現在も、排水キャパは確保されたままである。
皆さん、鉄製の「わん型トラップわん」のつまりは、鉄さびの除去で解決しますよ。
って、ほとんど役に立たない情報を得た「風呂との戦い」でした。
2009年5月12日火曜日
忘れない!ためには
当たり前の話だが、「忘れない」ためには、「見えるようにする」ことが非常に有効な解決策である。
料理をしていると、よく
「そうそう、今度スーパーで○○を買わなくちゃ…」
てなことを、思う。
思ったことを「忘れない」ようにするためには、思ったその場でメモすることが重要だ。
さらにそのメモを、思い出すべき時に「見るであろう場所」に提示しておくことも重要だ。
行動分析学的に言うと、「忘れる」は行動ではない。
必要な時に「思い出す」行動が起こらない出来事のタクトが、「忘れる」だ。
けど、あまりにも便利な言葉なので、つい「忘れる」という行動があるかのように錯覚してしまう。
ついでに「忘れない」という“行動”も。
さて、料理をしている時に
「そうそう、今度スーパーでキッチンペーパーを買わなくちゃ…」
と思ったとする。
A:料理をしている時、無くなりそうなキッチンペーパーを見て
B:「スーパーでキッチンペーパーを買わなくちゃ」と思う
C:やがてキッチンペーパーが無くなる不安が減る(↑)
ところが、先行条件A「料理+無くなりそうなキッチンペーパー」が無い状態では、B「スーパーで…」の行動はとても起こりにくい。
この状態が「忘れる」だ。
で、キッチンペーパーは永遠に補充されず、料理をするたびに
「あ゛、キッチンペーパー、買うの忘れちゃった」
と思うことが、繰り返される。
ほんでもって、メモである。
メモに「キッチンペーパー」って書いてあると、別に料理をしていなくても
「そうそう、キッチンペーパー買わなくちゃ」
と、思う。
当たり前だ。
忘れないために「見えるようにする工夫」は、メモだけではない。
単身赴任者に非常に有効なのは、
「床に○○を置く」ことだ。
「あ、明日は生ゴミの日だ」と思ったら、すぐ玄関の床に生ゴミの袋を置く。
「洗濯機が止まったら干さなくては」と思ったら、すぐ居間の床に洗濯かごを置く。
とにかく「必要な時に見える」ことが肝心。
一人暮らしの気楽なところは、床にものが置かれていても、誰にも文句を言われないところだ。
ゴミでも、カゴでも置き放題。
忘れないために「見えるようにする」工夫は、普段の仕事でも、自閉症教育でも、認知症のお年寄りの介護でも、非常に役に立つ。
いかに「必要な時に見えるようにするか?」というところが、ポイントだと思う。
当然、ポイントを押さえた我が宿舎は、
家中メモの付箋だらけ。
床中ものだらけ。
「思い出す」ための弁別刺激提示も、大変だ。
2009年5月10日日曜日
蛞蝓様ご来臨!
タコめしを炊く
インターネットには、単身赴任者のサイトがたくさんあり、そこには料理のレシピもいろいろ紹介されている。
昨日の晩は、そうしたレシピの中から「タコめし」なるものを作ってみることにした。
(こちらを参考にさせていただきました)
材料:
米2合、蒸しタコ、醤油、水
作り方:
スーパーでタコを買ってくる。
ぶつ切りにする(半分は冷凍して次回に)。
米をとぐ。
水を入れる(やや少なめに)。
タコを入れる。
醤油を入れる(適当に)。
炊く。
超カンタンだ。さて、できあがりは。
おお、タコめしじゃ。
ご飯が、ほんのり醤油色に染まっている。
さあ、食べよう。
薄味を心がけたので、うっすら塩味を感じる程度。
ご飯に比べて、タコが少ない。
でも、おいしい。
今度は、もうちょっとタコをたくさん入れよう。
さあ、明日は、何を食べようかなあ。
2009年5月7日木曜日
立ち飲み屋?
ゴールデンウィークも終わり、K浜での日常が再び始まった。
2009年5月3日日曜日
ブログを公開することの効果
このブログ「行動は増やしたり減らしたりできる(略称:行動増減ブログ)」は、2008年の12月から開設している。
当初は、自分が思ったことをつらつら書きつづるためだけに存在していて、公開を意図したものではなかった。
ところが、3月にK浜に転勤することが決まり4月に実際に転勤してからは、ブログの果たす機能が変わってしまった。
離れて暮らす人たちへの「お便り」みたいな役割が、付加されたのだ。
ブログの公開は、2008年の4月1日に「徳島ABA研究会ブログに当ブログを紹介」するという形で行った。グラフは、3月以降の「日別ユニークユーザー※訪問数の積算」および「日別投稿件数の積算」データである。
4/1の公開を境にして、訪問数は激増!
といっても1日に10~20人ぐらいだけど、それでも3月に比べると何と15倍以上。
それとともに、私の投稿数も激増!公開以前の平均投稿数に比べて4倍の投稿頻度だ。
私の行動レパートリーの中で、「ブログを書く」ことは、かなり頻度の高い重要なものになってしまった。
行動の機能類型でよく言われる「注目の獲得」というやつだ。
もともと自分には「注目」はよく効く好子だと思っていたけど、グラフで見るといよいよ明らか。
さて、
様々な先輩たちのブログを見ると、多くは「ブログを一方通行のコミュニケーションツールと考え、コメント機能は付加させていません」という設定だ。
一方、行動増減ブログは、見る人も少なくまだまだ平和なので一応「双方向性」を保ったままである。
インターネットの中にありながら、ちょっとしたSNS状態である。
いつまでこの状態が続くのだろうか?
※ユニークユーザー数とは、ある日のブログ訪問者のうち同一訪問者を除いた数のこと。今日このブログをのぞきに来たのは何人?という問いに、ほぼ正確に答えられる数です。
2009年5月2日土曜日
踊りの練習に行く
夕べ、踊りの練習にいった。
昨日は連の練習ではなく、F健康館で一般の人向けに開いている「阿波踊り教室」だったけど、けっこう本気で練習するのだ。
久しぶり(といってもほんの1ヶ月ぶりだけど)に連の仲間に挨拶した。
みんな一様に「お」とか「あ」とか驚いて、ちょっと恥ずかしそうな顔をする。
私も欠席が続いて久しぶりに学校に行った子どもみたいに、ちょっと恥ずかしい感じ。
鳴り物が鳴り始めるとひたすら踊り、止まると仲間と他愛のない話をする。
とても心地よい。
K浜では、こういう時間がないのが寂しい。
昨日の練習では、持久力がかなり落ちているのに愕然とした。
「よし、毎日昼休みに研究所の屋上で練習しよう。」と、決心する。
まあ「思う」と「する」は別の行動なので、実際に「する」行動を生起させるためにはABC分析して整えるべき条件を明らかにしておく必要があるだろう。
「持久力がない感じがする」という出来事は、私にとってはかなり嫌子的な状況。
現状では、「やがてお盆に桟敷の途中で踊れなくなる」という嫌子出現を阻止する随伴性が効いている。
でも60秒ルールというのがあるように、嫌子的状況も鮮度が肝心。
夕べの筋肉痛が残っている今のうちに、「研究所の屋上で踊りの練習をする」をBにして、現状&解決策のABC分析をしておかなければ。
で、現状。
A:
やがてお盆に桟敷の途中で踊れなくなる不安有り
暑い
他の職員の目あり
連の練習無し(=練習メニューを自分で考えなくてはならない)
B:
研究所の屋上で踊りの練習をする
C:
やがてお盆に桟敷の途中で踊れなくなる不安無し(↑)
汗で服がべとべと(↓)
奇異なものを見る眼差し(↓)
ちょっぴり持久力アップ(-)
めんどくさい(↓)
やばい。
このままでは、練習しそうにない。
で、解決策。
A:
やがてお盆に桟敷の途中で踊れなくなる不安有り
暑い+トレーニングウエア&着替え+シャワー
他の職員の目あり
連の練習無し
練習メニュー+チェックリスト+ブログ報告システム
B:
研究所の屋上で踊りの練習をする
C:
やがてお盆に桟敷の途中で踊れなくなる不安無し(↑)
シャワーと着替えで爽快!(↑)
奇異なものを見る眼差し(↓やがて-、いつまでも奇異ではない)
ちょっぴり持久力アップ+チェックリストのチェック(↑)
めんどくさいけどブログで報告するのでがんばらなくちゃ(↑)
よーし、がんばってみよう。